今を全力で生きる、
その積み重ねでしかない
株式会社カケフホールディングス
取締役
二戸 良典
Ryosuke Nito
これまでのキャリアのスタートを教えてください。
大学を卒業して、地元山形の地方銀行に入りました。採用試験もすんなり通って、新入行員研修では同期の中で1位になったりもして、正直めちゃくちゃ天狗になっていました。でも、お金を手で数えたり伝票整理とか、すごく地味な仕事に耐えられなくて。半年で辞めたんです。
これまでのキャリアのスタートを教えてください。
大学を卒業して、地元山形の地方銀行に入りました。採用試験もすんなり通って、新入行員研修では同期の中で1位になったりもして、正直めちゃくちゃ天狗になっていました。でも、お金を手で数えたり伝票整理とか、すごく地味な仕事に耐えられなくて。半年で辞めたんです。
銀行を辞めた後はどのように生活していたんですか?
倉庫業のバイト生活でした。時給700円、最低賃金みたいなものです。銀行を辞めた時は、プライドがズタボロでした。でも、バイト先には学歴も職歴も様々な人がいて、すごく楽しかった。色んな方とコミュニケーションを取って、色んなことを学んだ。ただ、リーマンショック直後で就職状況が本当に厳しくて。正社員になるのがこんなに大変なんだって、改めて思いましたね。
銀行を辞めた後はどのように生活していたんですか?
倉庫業のバイト生活でした。時給700円、最低賃金みたいなものです。銀行を辞めた時は、プライドがズタボロでした。でも、バイト先には学歴も職歴も様々な人がいて、すごく楽しかった。色んな方とコミュニケーションを取って、色んなことを学んだ。ただ、リーマンショック直後で就職状況が本当に厳しくて。正社員になるのがこんなに大変なんだって、改めて思いましたね。
その後、正社員になることはできましたか?
ハローワークから入った会社で10年働きました。そこで、外部から来たプロ経営者──銀行出身の方のもとで6年半働くことになった。もう、本当に厳しい鍛錬の日々でした。でもそこには愛があったし、将来的に私を経営者に育て上げようという思いを感じたんです。
その後、正社員になることはできましたか?
ハローワークから入った会社で10年働きました。そこで、外部から来たプロ経営者──銀行出身の方のもとで6年半働くことになった。もう、本当に厳しい鍛錬の日々でした。でもそこには愛があったし、将来的に私を経営者に育て上げようという思いを感じたんです。
どんなことを教わったのですか?
ずっと言われていたのは、「10歳上を意識して、10歳上の仕事をしろ」ってことでした。本来その若さでするような仕事じゃないことも、チャレンジしてやってみた。社長秘書という立場だったので、色んな素晴らしい経営者の方々にお会いしたり、会食の場に参加させていただいたり。でもそれをやるには、経験だけじゃ追いつかない。だから、色んな本を読んだり、色んな人の話を聞いたり、とにかく勉強しました。私の今の基盤が仕上がってきたのは、この社長の教えがあったからです。
どんなことを教わったのですか?
ずっと言われていたのは、「10歳上を意識して、10歳上の仕事をしろ」ってことでした。本来その若さでするような仕事じゃないことも、チャレンジしてやってみた。社長秘書という立場だったので、色んな素晴らしい経営者の方々にお会いしたり、会食の場に参加させていただいたり。でもそれをやるには、経験だけじゃ追いつかない。だから、色んな本を読んだり、色んな人の話を聞いたり、とにかく勉強しました。私の今の基盤が仕上がってきたのは、この社長の教えがあったからです。
取締役になって、何か変わりましたか?
34歳で専務取締役になりました。この時のオーナー社長は開業医で非常勤だったため、私が現場のトップでした。大学の頃から、企業経営者になりたいっていう思いはすごくあったんです。堀江貴文さんとか、サイバーエージェントの藤田晋さんが出てきた時代で、すごく輝いて見えた。でも、実際にそのポジションになってからは、もう何も見えなくなってきたんです。 「あれ? ここにきたけど、何するんだっけ?」 経営者に「なること」が夢になっちゃってたから、到達してからは虚無感を感じることが多くなった。その先に何をしたいのか、何を成し遂げたいのかを考えなきゃダメだよなって気づきました。
取締役になって、何か変わりましたか?
34歳で専務取締役になりました。この時のオーナー社長は開業医で非常勤だったため、私が現場のトップでした。大学の頃から、企業経営者になりたいっていう思いはすごくあったんです。堀江貴文さんとか、サイバーエージェントの藤田晋さんが出てきた時代で、すごく輝いて見えた。でも、実際にそのポジションになってからは、もう何も見えなくなってきたんです。 「あれ? ここにきたけど、何するんだっけ?」 経営者に「なること」が夢になっちゃってたから、到達してからは虚無感を感じることが多くなった。その先に何をしたいのか、何を成し遂げたいのかを考えなきゃダメだよなって気づきました。
株式会社カケフホールディングスに入ったきっかけは?
2019年、メーカーの全国総会で掛布社長と出会いました。私は業界で東北の雄と言われる会社の専務取締役、掛布社長は東海の雄と言われる会社の社長。お互いシンパシーを感じるものがありました。その2か月後、名古屋で業界のイベントが2日間に亘ってあって、せっかくだから掛布社長にお会いしたいなって思い、2日目のゴルフや観光のプランをキャンセルして、掛布社長とランチをしたんです。「やっぱりこの人はすごく面白い人だな」って思ったのを覚えてます。その後、私が山形の会社を退任した時、掛布社長に電話したら「うちで、どうですか?」って言われたんですけど、もう次が決まっちゃってて。 それから3年経って。そのポジションにいくことによって、何をしたいのか、何を成し遂げたいのか。それを考えなきゃダメ。志があると、そう簡単に崩れもしないし、それを果たすことはそう簡単にできることでもない。でも小さな成功体験を積み重ねていくことで、その質が上がっていく。
株式会社カケフホールディングスに入ったきっかけは?
2019年、メーカーの全国総会で掛布社長と出会いました。私は業界で東北の雄と言われる会社の専務取締役、掛布社長は東海の雄と言われる会社の社長。お互いシンパシーを感じるものがありました。その2か月後、名古屋で業界のイベントが2日間に亘ってあって、せっかくだから掛布社長にお会いしたいなって思い、2日目のゴルフや観光のプランをキャンセルして、掛布社長とランチをしたんです。「やっぱりこの人はすごく面白い人だな」って思ったのを覚えてます。その後、私が山形の会社を退任した時、掛布社長に電話したら「うちで、どうですか?」って言われたんですけど、もう次が決まっちゃってて。 それから3年経って。そのポジションにいくことによって、何をしたいのか、何を成し遂げたいのか。それを考えなきゃダメ。志があると、そう簡単に崩れもしないし、それを果たすことはそう簡単にできることでもない。でも小さな成功体験を積み重ねていくことで、その質が上がっていく。
高校生や大学生に伝えたちへメッセージをお願いします。
一旦ゴールをイメージできたら、途中のプロセスの細かい計画や展望なんてあまり考えなくていいと思う。今を全力でやり切る。今を全力で楽しむ。 堀江貴文さんが言った、「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」って言葉がすごく好きです。先行き不透明な未来にビビっちゃう人が多いし、過去の成功体験や失敗に執着する人もいる。でも、未来を恐れない。過去に執着しない。そして、今を生きる。 今を全力で生きる、その積み重ねでしかない。これは、若い人にすごく必要な考え方なんじゃないかなと思っています。
高校生や大学生に伝えたちへメッセージをお願いします。
一旦ゴールをイメージできたら、途中のプロセスの細かい計画や展望なんてあまり考えなくていいと思う。今を全力でやり切る。今を全力で楽しむ。 堀江貴文さんが言った、「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」って言葉がすごく好きです。先行き不透明な未来にビビっちゃう人が多いし、過去の成功体験や失敗に執着する人もいる。でも、未来を恐れない。過去に執着しない。そして、今を生きる。 今を全力で生きる、その積み重ねでしかない。これは、若い人にすごく必要な考え方なんじゃないかなと思っています。
プロフィール
株式会社カケフホールディングス
取締役
二戸 良典
株式会社カケフホールディングスの取締役として、経営戦略の策定から実行、M&Aの交渉から経営統合まで幅広く手がける。『社長を輝かせることで、会社を輝かせる』という信念のもと、ナンバー2として社長を支え、バディ経営を実践している。『動機善なりや、私心なかりしか』を意思決定の軸とし、『育てていただいた地域や人々にご恩返しをする』ことを志として掲げる。堀江貴文氏の『未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ』という言葉が好きで、今を全力で生きることを体現している。
