働き方・生き方

「現状維持」が、いちばん大きなリスクかもしれない

ゆめスタ編集部
「現状維持」が、いちばん大きなリスクかもしれない

今の会社にとどまることを「安全」だと思っていませんか。

ところが、実質賃金は 4 年連続でマイナス。終身雇用の崩壊は、経済界自身がすでに認めています。

「動かないこと」は、本当にリスクから逃れる選択なのでしょうか。

このページでは、心理・経済・キャリア・業界の 4 つの視点から、「現状維持」というあなたの選択を、いちど数値で見つめなおします。

1. 「現状維持は安全」という幻想 — 心理学が解明した心の仕組み

「なんとなく、このままでいいのだろうか」。そう感じたことはありませんか。

けれど、なぜ私たちは、その違和感を抱えながらも、変わらない方を選んでしまうのでしょう。

それは、意思の弱さではありません。1988 年、米国の研究者が、人が意思決定の場面で「いま選んでいるもの」を残す方向に体系的に偏ることを論文で示しました[1][2]。退職金プランや健康保険プランの選択を分析した研究です。

人は重要な実生活の決定であっても、合理的な比較ではなく、すでにある状態を選びがちであることが、繰り返し確認されています。日本でも、葛藤場面における同じ偏りを実証的に検討した研究が、日本心理学会の学術誌で 2004 年に発表されています[3]

論文では、現状を選んでしまう心の仕組みとして、5 つの観点が指摘されています。

  • 得る喜びより、失う痛みのほうが大きく感じられる「損失への過敏さ」
  • これまで費やした時間や努力を「無駄にしたくない」という気持ち
  • 自分の選択を「正しかった」と納得し続けたいという心の働き
  • 知っている状況のほうが、自分でコントロールできる感覚があるという感じ方
  • 動いて失敗した後悔のほうが、動かない後悔より大きく予想されるという見立て

つまり、「変わらない方を選んでしまう」のは、文化や時代を超えて、人間の脳に組み込まれた共通の癖です。けれど、それを構造として知ることができれば、「なぜ自分は動けないのか」という自己嫌悪から、「いま自分はどの心の働きの中にいるのか」という観察に、視点を移すことができます。気づいた瞬間から、選択は変わりうる、ということです。

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編集部メモ

心の癖を知ることは、抜け出すための最初の一歩です。「動かない自分」を責める必要はありません。まずは、いま自分がどの構造の中にいるのかを、見つめなおすところから。

2. 経済的リスク — 実質賃金は 4 年連続でマイナス

「同じ会社にとどまる」ことは、「同じ生活水準を維持する」ことと同じでしょうか。2025 年の公的統計は、その前提が成り立っていないことを示しています。

厚生労働省「毎月勤労統計調査 2025 年分結果速報」(事業所規模 5 人以上)によれば、2025 年の月間現金給与総額は 35 万 5,941 円、名目の賃金指数は前年比 +2.3 %でした[4]。一見すると、賃金は上がっているように見えます。

ところが、物価の上昇を加味した実質賃金指数の前年比は、現金給与総額で マイナス 1.3 %。きまって支給する給与でみても マイナス 1.6 %です。労働政策研究・研修機構の解説でも、これが 4 年連続のマイナスであることが明示されています[5]

項目金額・指数前年比
現金給与総額(名目)35 万 5,941 円+2.3 %
現金給与総額(実質)指数 111.7(2020 年 = 100)マイナス 1.3 %(4 年連続)
きまって支給する給与(実質)28 万 7,427 円(名目)マイナス 1.6 %

実質賃金がマイナスとは、給与の額面は増えても、その給与で買えるモノやサービスの量が前年より減っている、という意味です。同じ会社で同じ給与体系のままとどまることは、可処分の生活水準が静かに目減りしていく状況を、受け入れる選択でもあります。

月給 35.5 万円という平均値で「現状維持」を 5 年間続けたとき、私たちの生活は本当に「維持」されるのでしょうか。「動かない」という選択にも、見えにくいコストがあります。それは個人の責任ではなく、いまの日本経済が示している構造的な事実です。

3. キャリア的リスク — 終身雇用の崩壊と「35 歳の壁」

「定年まで一つの会社で勤め上げる」という前提は、いまも成立しているのでしょうか。終身雇用の崩壊は、政府の発表でも、評論家の予測でもなく、経済界自身が公式に表明した事実です。

2019 年 5 月 7 日、日本経済団体連合会の中西宏明会長は、定例記者会見で次のように発言しています[6]

働き手の就労期間の延長が見込まれる中で、終身雇用を前提に企業運営、事業活動を考えることには限界がきている。
外部環境の変化に伴い、就職した時点と同じ事業がずっと継続するとは考えにくい。
経営層も従業員も、職種転換に取り組み、社内外での活躍の場を模索して就労の継続に努めている。

この発言は、特定の企業の事情ではなく、日本の経済界を代表する組織の公式な現状認識として記録されています。同時にこれは、「会社に居続ければキャリアが保たれる」という前提の終わりを意味しています。

政府の制度設計も、この変化に追随しています。厚生労働省は 2024 年 4 月 1 日施行で労働条件明示のルールを改正し、明示の対象に「就業の場所及び従事すべき業務の変更の範囲」を追加しました[8]。これは、業務範囲を明示して契約する働き方への政策的な接続を意味します。経済産業省の人材政策資料でも、「年功制の職能給から日本に合った職務給への移行」「『キャリアは会社から与えられるもの』から『一人ひとりが自らのキャリアを選択する』時代への転換」が明示されています[9]

一方で、「動こうと思えばいつでも動ける」のかというと、市場の構造はそう単純ではありません。厚生労働省「令和 5 年雇用動向調査結果の概況」では、年齢階級別の入職・離職動向が公表されています[7]。35 歳前後を境に、未経験職種への移動可能性や、前職と同等規模以上の企業への移動可能性が、統計的に低下していくことが、長年指摘されています。

「動かない」を選び続けることは、5 年後・10 年後に「動こうとしても動きにくい」状態に近づいていくことでもあります。これは脅しではなく、経済界の公式宣言と政府統計が示す、観察された現実です。

4. スキルの目減り — 「動かない」ことに含まれるコスト

「同じ仕事を続けることで、経験が積み上がる」。この前提もまた、領域によっては成立しなくなりつつあります。

世界経済フォーラムは 2018 年のダボス会議で、学び直しの取り組みを世界規模の課題として打ち出し、2030 年までに 10 億人に対してより良い教育・スキル・仕事を提供することを目標として掲げました[10]。同フォーラムの議論の中では、スキルの価値が半分になるまでの期間が、従来の 約 5 年から、技術領域では 約 2.5 年へと短くなっていると指摘されています。

人工知能やデジタル技術が業務に組み込まれていく速度が上がるほど、いまの仕事で身につけたスキルが古くなる速度も上がります。「同じ業務を 5 年続けた」は、領域によっては「業務遂行に必要なスキルがほぼ更新されないまま、実質的に 2 周分目減りした」と等しくなりうるということです。

日本政府も、この国際的な動きに政策で応答しています。2022 年 10 月 28 日に閣議決定された「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」には、学び直し支援が中核的施策として組み込まれました。スキルの更新は、もはや個人の自発性だけに委ねられた選択肢ではなく、国が制度として後押しする領域に位置付けられています。

ここで大切なのは、「動かない」が「スキルが自動的に蓄積される選択」ではなくなった、ということです。むしろ、能動的に学び直さなければ、いまの仕事で築いたスキルそのものが、静かに目減りしていく時代に入っています。動かないことの中にも、見えにくい目減りが含まれている、というのが、いま私たちが立っている地点の事実です。

5. 動いた人の世界 — 業務委託・フリーランスの現実

では、「動いた人」が辿り着く先には、何があるのでしょうか。一次情報の統計が示すのは、希望と現実が同居した世界です。

まず、政府の制度設計の側から見てみます。2024 年 11 月 1 日、フリーランス・事業者間取引適正化等法が施行されました[14][15][16]。この法律の目的は、業務委託の相手方である事業者で、従業員を使用しない方々と、発注事業者の間の取引を適正にすることと、就業環境を整えることです。発注側に対しては、書面での取引条件の明示、報酬支払期日 60 日以内、ハラスメント対策体制の整備、6 ヶ月以上の委託時の 30 日前予告など、7 項目の義務が課されています。執行は公正取引委員会・中小企業庁・厚生労働省が担います。

法律の施行は、業務委託という働き方が、政府によって正面から制度の対象になったことを意味します。「動いた」先が、もはや無法地帯ではなく、保護対象として位置付けられた領域になった、ということです。

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一方で、市場の規模感も、そこで働く方々の実態も、数字で確認しておく必要があります。希望だけを見て動くのも、不安だけを見て動かないのも、どちらも一次情報を見ないままの判断です。

実態調査の側では、厚生労働省が 令和 5 年(2023 年)に「フリーランスの業務及び就業環境に関する実態調査」を実施しています。雇用契約を結ばない個人フリーランスの方 1,200 人を対象としたものです[11]。さらに、公正取引委員会と厚生労働省が共同で「フリーランス取引の状況についての実態調査(法施行前の状況調査)」を実施し、令和 6 年 10 月 18 日に結果を公表しました[12]。これらは民間調査ではなく、政府機関による実態把握として位置付けられた一次資料です。

市場規模については、内閣府政策統括官が令和元年 7 月に発表した分析「日本のフリーランスについて — その規模や特徴、競業避止義務の状況や影響の分析」が参考になります[13]。この分析でも、フリーランスは特定の少数派ではなく、政策的に把握すべき規模に達した働き方として記述されています。

ただし、「動いた人」全員が経済的に成功しているわけでも、安定しているわけでもありません。各種実態調査が共通して示しているのは、フリーランスとして働く方々の中に、収入水準・就業環境・取引条件の点で課題を抱える層が存在するという事実です。だからこそ法律が制定され、実態調査が継続されています。動くことが万能の解ではないし、動かないことが万能の安全でもない。両側の事実を、まっすぐ見ることが、最初に必要な作業です。

6. 「動く」と「動かない」のあいだ — 段階で考える

ここまで読んでくださって、「では、すぐに辞めるべきなのか」と感じた方がいるかもしれません。逆に、「自分にはまだ動く力がない」と感じた方もいるかもしれません。けれど、「動く」と「動かない」は、二者択一ではありません。

会社員のまま副業から始めた方、業務委託契約で週末だけ別の事業に関わってみる方、いまの会社で職務範囲を変えてもらう交渉から始める方、まずは自分の経験や価値観を棚卸しすることから始める方 — 一次情報で観察される「動いた」のかたちは、想像以上に幅が広いものです。フリーランス・事業者間取引適正化等法も、専業フリーランスだけを対象にしているわけではなく、業務委託契約という関係そのものを保護対象に位置付けています[14]

一気に何かを変える必要はありません。むしろ、いきなり全てを変えることのほうが、現状維持の偏りとは別の意味でリスクが高い場面もあります。あいだのどこに、自分にとって無理のない最初の一歩があるか。それを見定めるためには、まず自分の現在地を知る作業が必要になります。

私たちは「動け」とも「動くな」とも申し上げません。ただ、「現状維持」というあなたの選択が、本当に自分の意思で選んだものなのか、それとも 5 つの心の働きによって自動的に選ばされ続けているものなのか。そこをいちど立ち止まって見つめなおす契機になりたい、という思いで本記事は書かれています。

7. まとめ — 「現状維持」が本当のリスクになる前に

本記事は「動け」と煽る記事ではありません。「動かない」を選ぶことも、自由です。ただし、その選択を、一次情報の数値も見ずに「なんとなく安全だから」で続けることだけは、4 つの軸で見るとリスクになりうる、という事実を共有しました。

  • 心の軸:現状を選ぶ偏りは、誰の脳にも組み込まれた構造である[1]
  • 経済の軸:実質賃金は 4 年連続でマイナス・月給 35.5 万円の現状維持は静かに目減りする[4]
  • キャリアの軸:終身雇用前提は経済界自身が限界を表明している[6]
  • スキルの軸:技術領域では、スキルの価値が半分になる期間が約 2.5 年に短くなっている[10]
  • 業界の軸:業務委託は法律で保護対象として制度化された[14]

意思決定する前に、いちど数値を見る。それが、本記事が読者の方にお届けしたい唯一のことです。動くことも、動かないことも、自分のペースで決めていく。その判断が、構造への自動反応ではなく、自分の意思によるものであるように。

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編集部メモ

動くも動かないも、自分のペースで決めていきましょう。本記事は、その判断材料として、一次情報の数値を並べることだけを目的にしています。次の一歩は、自分を棚卸しすることから始められます。心が出すサインに気づくことから始めることもできます。それぞれの記事で、ご一緒に見ていけたらと思います。

出典

  1. Samuelson, W. & Zeckhauser, R. (1988). "Status Quo Bias in Decision Making". Journal of Risk and Uncertainty, 1, 7-59.(Springer Nature)https://link.springer.com/article/10.1007/BF00055564
  2. Zeckhauser, R. "Status Quo Bias in Decision Making"(ハーバード大学公開ページ)https://rzeckhauser.scholars.harvard.edu/publications/status-quo-bias-decision-making
  3. 日本心理学会「葛藤状況における現状バイアス」心理学研究 2004 年 75 巻 4 号https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy1926/75/4/75_4_316/_pdf
  4. 厚生労働省「毎月勤労統計調査」(事業所規模 5 人以上・2025 年分結果速報)https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/30-1a.html
  5. 労働政策研究・研修機構「2025 年の実質賃金は 4 年連続のマイナス」(2026 年 4 月)https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2026/04/kokunai_01.html
  6. 日本経済団体連合会「定例記者会見における中西会長発言要旨」(2019 年 5 月 7 日)https://www.keidanren.or.jp/speech/kaiken/2019/0507.html
  7. 厚生労働省「令和 5 年雇用動向調査結果の概況」https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/doukou/24-2/dl/kekka_gaiyo-03.pdf
  8. 厚生労働省「2024 年 4 月から労働条件明示のルールが改正されます」(2024 年 4 月 1 日施行)https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_32105.html
  9. 経済産業省 産業構造審議会 新機軸部会「人材」資料https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/shin_kijiku/pdf/014_03_00.pdf
  10. 世界経済フォーラム「日本のリスキリング: 仕事の未来 — ダボス会議 2023」https://jp.weforum.org/stories/2023/01/jp-reskilling-japan-future-of-work-davos-2023/
  11. 厚生労働省「フリーランスの業務及び就業環境に関する実態調査」(令和 5 年実施・1,200 人対象)https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/freelance.html
  12. 公正取引委員会・厚生労働省「フリーランス取引の状況についての実態調査(法施行前の状況調査)結果」(令和 6 年 10 月 18 日公表)https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_44359.html
  13. 内閣府政策統括官(経済財政分析担当)「政策課題分析シリーズ 17 日本のフリーランスについて」(令和元年 7 月)https://www5.cao.go.jp/keizai3/2019/07seisakukadai17-0.pdf
  14. 公正取引委員会「フリーランス・事業者間取引適正化等法 特設サイト」(2024 年 11 月 1 日施行)https://www.jftc.go.jp/freelancelaw_2024/
  15. 厚生労働省「フリーランスとして働く方へ」特集ページhttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/zaitaku/index_00002.html
  16. 公正取引委員会「フリーランス・事業者間取引適正化等法」公式パンフレット(PDF)https://www.jftc.go.jp/file/flpamph.pdf

この記事を書いた人

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